思想地図vol.3 特集 アーキテクチャ (後編)

福嶋亮大ホモ・エコノミクスの書く偽史


ユリイカで「神話社会学」を連載中の福嶋亮大による論文。
内容は前回の思想地図vol.2の濱野智史による「ニコニコ動画の生成力(ジェネレイティビティ)」に繋がるような話で、ここでは「作家性」が重要なテーマになっている。その中身は、

ケータイ小説の「恋空」「ライトノベル」「聖地巡礼」「村上春樹」「東方」(ネットやコミケで絶大な人気を誇る同人シューティングゲーム)と普通は一見なんの脈略もないように見えるこれらが全て「偽史」という言葉で繋がる非常に面白い論文。この「偽史」というのは、福嶋氏自身の手で非常に丁寧に説明されていて、それによって「作家性とは何か」についてこの中でかなり明確に論じられている。


濱野、福嶋、両氏により語られる「作家性」。匿名的な環境のなかで自動生成される作家達、もう一方ではそういった状況を逆手に、新たな作家性を紡ぐ作家。

しかしそれらとは全く違う方向から、この「作家性」について考えてみたい。それは、


石田衣良佐藤可士和のような「作家性」で、それは演出された作家性、むしろ積極的にアーティストと言ってしまったほうが伝わるかもしれない、そんな作家性です。 以前は作家性とは、作家の中にある秘技が隠されている事によって、その作家性自体を担保していたはずなのですが、もはやそれは演出されるものに変わってきている。むしろ積極的に演出する事を隠していないし、我々の側もそれを受け入れている。このあたりはやはり大きな変化なのではないか。そしてブランド。ブランディング。これこそ演出されたもの、そのものです。そしてこれが現在では非常に重要だと考えられている。それは作家だけではなく、ファッションブランドはもちろんの事、企業や国家、EUといった非常に大きなものまで、そのブランディングを考えるという事は同様に非常に重要になってきている。 そう考えると「作家性」とは少なくともその半分は「演出されたもの」ということになるのではないか、ブランディングという事を突き詰めて考えれば考えるほど、その中身、内容は問題ではなくなっていくはずです。そして後の残りの半分についても、現在のような環境であれば半ばアーキテクチャによって自動生成されてしまう。もちろんそれとは別に、そういう形では表せない部分もまだ残っている。しかし今、重要なのは、「全身で作家です」というような人が出てくればそれこそ演出というかネタとしてしか我々は受け取れない。

そしてシンポジウムでも触れられていた「にしむらひろゆき」もやはり非常にうまく作家性を演出し続けている作家なのではないか。だからこそ愛憎半ばでも、2ちゃんねるの住人のようなネットの住人のなかでも特に通常では扱いにくい人々たちを本当にうまく導けている。にしむらひろゆきの例は「演出された作家」と「システムを設計する職人」の融合だと考えるのがやはりしっくりくる。


また、上記の石田衣良佐藤可士和、両氏は自らの仕事場がその作家性の演出に有効に利用されている。そしてファッションブランドにとってのショップもやはり、そのブランディングに大きな役割を果たしている。この「演出するもの」としての「インテリアデザイン」と「作家性」について、非常に特異なショップを作り続けている「川久保玲」とこのような環境で生まれた「ゼロ年代のファッション」から考えてみたい。そしてその世界では「ニコニコ動画」とはまた別のアーキテクチャ「百貨店」「ヤフーオークション」が大きな役割を果たしている。