ほとんど同じなのに見たことがない世界ーー大宮前体育館について

メディアで発表された建築物も含め、2014年に見た建築物の中では青木淳による大宮前体育館が最も心が動かされた建築だった。ただ、大宮前体育館ほど評価が二分する作品も珍しく、周囲の建築家に色々と話を聞いてみても、ある人は駄作で、ある人は重要な建築だという。しかも面倒なことに、その理由を聞いてみてもどちらも釈然としないし、かくいうぼくもうまく説明できた試しがない。そこで、ここでは正面から書くのを諦め、最初は旅行記という形で大きく遠回りしつつ、最後に大宮前に戻ってくるという形でなんとか大宮前の可能性について少しでも触れられればと思う。



青森県立美術館
昨年(2014年)の6月、青森に家族旅行に行ってきた。青木淳設計の青森県立美術館西沢立衛設計の十和田市現代美術館を見るのがその目的だったのだけど、いうまでもなく、ふたつともとても素晴らしい建築だった。

まず見たのは青森県立美術館。建物は周囲は山に囲まれているがスコーンとひらけた場所に山を背にして建っている。駅からは遠いため駐車場からアプローチするのだけれど、柵や塀がなく建物もある意味とてもそっけない。そのため、美術館特有のもってまわった所がなく、周囲のスコーンとした空気は、もともとあったというだけではなくて、この建築ができたことも大きいのではないかと想像する。
さらに近づくと、巨大なゆるいカーブを描いた壁の上に、これまた巨大な庇が数十メートルに亘って伸びていて、美術館というより巨大な倉庫の搬入口のような不思議な場所に辿り着く。これが美術館のエントランス。ともかく全体的にどこかそっけなく、それでいてそのそっけなさこそが気持ちいいと思えるようなそういう作り方をしているというのが、この時点ですでに感じられるようになっている。

さて、ここまではよくある青森県美の説明なのだけど、ここから先は竣工して10年ということで実際に見た建築は写真や文章で想像したものとは少し違うものだった。
まず外壁。当初の設計では、レンガという、素材感が強いものをあえて白く塗り潰し、さらにはその端を斜めにカットして厚みを消すことで、素材や「モノ」を活かして設計するという方法でも、抽象的な面を作るという方法でもない、素材やモノとしての強さは残しながらその意味だけを漂白するという不思議な表面を作っていたと思う。それが10年経った今、経年変化によって繋ぎ目がはっきりと現れ、そのレンガの壁(の一部)がコンクリートで作られたフェイクであることが完全に分かるようになってしまっている。さらに内部に入ると、たたきの床と壁として作られた土の素材は長年の経年変化と補修により、内装吹き付け材のような質感にしか見えなくなっていた。そして、巨大に引き延ばされたアーチ窓とパーケットフロアが特徴的なコミュニティホールは、その後のセリーヌなどのガチな試み(テーブルにでも使えるような巨大なオークの無垢材をヘリンボーンに、グリーンオニキスをプリントのように扱っている)を見たあとではどうしても霞んで見える。
という訳で、基本的にはとても感動したのだけれど、と同時に、どうも嘘が明らかになった後を見たような妙な気持ちになりつつ青森県美を後にした。



十和田市現代美術館
次に見たのは十和田市現代美術館。こちらは市役所通りという街のメインストリートに建っている。様々な大きさの白い箱を適当に並べるという方法で作られており、言葉で書くとこちらもそっけない感じがするのだけれど、実際にその場に建つと、それぞれの箱の大きさ、向き、開口の取り方(一部の箱は一面だけガラスになっていて、中から外が見えると同時に、外からも中の作品が見え、巨大なショーケースのようになっている)等々、とても計算して作られていることが分かる。
そして中に入るとその計算はさらに緻密さを増す。大小の箱は基本的にひとつの作品だけを展示する専用の展示室であり、それらをガラスの廊下で繋ぐという、美術館の設計においてこれまで見た事がないほど明快かつ秀逸な解答がなされている。箱の大きさが違うのは展示作品がそれぞれ違うからであり、箱同士はくっつかずにばらばらに置かれているので、それぞれの展示室は独立性が高く、互いに干渉されることがない。しかもある展示室から次の展示室に行くには一度廊下に出なければならないので、その独立性はほぼ完璧な形で担保されている。これなら通常の美術館のようにA→B→C→DではなくA→D→C→Bと順路に束縛されずに好きな作品を好きな順序で見に行くことが出来るし、休憩も離脱も好きな時にできる。また、大きな箱を展示壁で分割するという従来の方法では、どうしても美術館が絶対的なもので作品や展示はそれに従うもの、というかたちでヒエラルキーがはっきりとしてしまうのだけれど、いってみれば十和田では展示室自体を独立した建築物として作っているので、美術館が主で作品が従というかたちにはなっておらず、作品側、作家側に立って考えてみると、これほどまでに完全な状態が与えられた展示室はなかなかないんじゃないかと思う。
このように、十和田は、箱を適当に並べるというたったひとつのルールだけで、単体の美術館であることを超えて美術館の形式そのものを更新するほど、とてもとても良く出来た美術館だったのだけれど、どこかでこれもやはり嘘をつかれているというか、言い方は悪いけれど、良く出来た解答を得るために問題自体を少し歪めているように感じたのだ。



奈義町現代美術館から再び十和田、青森へ
ひとつの展示物に対してひとつの建築。実はこの形式自体にはいくつかの先例がある。その代表的なもののひとつが磯崎新設計の奈義町現代美術館だろう。奈義では荒川修作 + マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子という3組の作家の作品が常設で展示されている。それは単に常に置いてあるというものではなく、建築も作品もこの美術館専用に作られたもので、実際に荒川+ギンズは円柱、岡崎は三日月、宮脇は四角と展示室の形態もそれぞれ違い、さらに仕上げや光の入れ方等々、すべてが違う。
さて、ここで再び十和田に戻ってみる。十和田もすべてではないけれどその大半は常設展示である。そして奈義と同様に作品は十和田専用につくられている。しかしながら奈義とは違い十和田はそれぞれの展示室にはその大きさ以外にほぼ差はない。壁や天井はすべて白くペイントされており、床もすべてコンクリート。箱という形状もどれも同じ。
奈義を経た後に考えてみれば、これはとても不思議なことだ。
それぞれ作家も作品も違うのだから、その部屋ごとに違ったものになっていたほうが不思議はない。にも関わらず十和田ではすべての展示室がたった1種類の素材、色、形状になっている。これは暗黙のうちに現代美術館はそういうものだと疑わなかった結果のように見える。ここに嘘というか問題自体を歪めていると感じる理由がある。なぜなら、仮に全ての部屋の仕上げや形状を違うもので作ってしまうと、大きな作品も小さな作品もヒエラルキーがなく等価に並べるというこの建築の重要な部分と齟齬をおこす。そして、ヒエラルキーのない関係を作るために個々の部屋の自由を束縛しているのだとすれば、それは本末転倒であり、従来の意味での美術館と同様に美術館が主で作品が従の関係自体は結局変わらないままではないかと思うのだ。

ここでさらに青森県美に戻ってみる。確かに青森県美では、経年変化によって実験的な試みのいくつかはフェイクだとひと目で分かるようになってしまっていた。しかし、そもそも青森県美では当初からフェイクであること(正確には表面であること)自体は隠されてはいなかった。というよりも、わざとフェイクであることを露呈させるような作り方になっていた。構造体の外側と内側にある二枚の表面。それが外壁と内壁。構造からは分離しているのだから仕上げは基本的に自由に振る舞う。そういう作り方になっていた。

これは十和田とは全く違う作られ方である。さっきは書かなかったけれど、青森県美も上向きの土の凸凹と下向きの白い凸凹を噛み合わせるという有名なあるひとつのルールによって作られている。それによって様々な種類の展示室を用意している。しかしながら、青森県美では、ルールは守られていながらも、個々の部屋は、色や素材や形状は、そのルールを強化するようには設計されてはいない。むしろルール違反スレスレまで、もうちょっとで逸脱してしまうのではないかというぎりぎりの所まで、部分は勝手気ままに振る舞っている。ここが十和田とは決定的に違う。そして、この一点において、ほとんど非の打ちようがないぐらい良く出来ているようにみえる十和田より、嘘が露呈してしまっている青森県美の方に賭けたいと思うのだ。



外の世界へ、別の世界へドアをあけること
青森県美に対するよくある批判に、美術作品より前に建築が美術作品のように主張しすぎている、というものがある。確かに見ようによっては、青森県美はその隅々まで過剰にデザインされているし、それを隠そうともしていない。ただ、そういった批判が出るのは無意識のうちに、建築はあくまでナカミを入れる器であり、建築は無色の透明な容器であるべきだという先入観があるからではないか。
しかし、原理的に無色の容器などは存在しない。完全に透明な素材も存在しない。にも関わらずそれを求めてしまうのは、設計者の恣意的なデザインを排除したい、という欲望の間違った現れだろう。
そしてこの欲望は一見正しそうに見えるが故に長年にわたって肥大化し、とても強力にぼくたちの想像力を規定してしまっていると思っている。多分最初はバブル時代のポストモダン建築への反動だろう。90年代になると、まずはその欲望はミニマリズムの流行をこの世界にもたらした。派手で恣意的なデザインは嫌悪の対象になり、ユーザーの為というの名の下、設計者の恣意的なデザインを排除する試みが様々な形で模索されるようになっていった。 さらに、姉歯事件や箱物公共事業は建築への不信感に繋がり、まるで身の潔白を証明するかのように、建築は白く透明になっていった。ヒエラルキーがなくフラットな建築も同じ流れだろう。そして昨今、ついにその欲望は、コミュニティデザインやFABなど建築を建てないという所にまで行き着きついたのではないか。

大きいばかりで無駄な建築はいらない、余計な事をして欲しくないししたくない、というのはよく分かる。人口が縮小する局面では特にそうだろう。しかしながら、その欲望が建築を建てないという所にまで行き着いたのだとすれば意味がない。それでは、現在すでに建っている建築はどれだけ無駄でも、今建っているというただそれだけで肯定しなければならなくなってしまう。なにより、無色の容器や完全に透明な器が存在しないのと同じように、完全に恣意的なデザインを排除した建築も作る事はできない。せいぜいある瞬間の人々の欲望の平均値を取ったものにしかならない。しかもこの二つの方向は今ある世界を変える事はなく再強化する。やはりどこかで間違っている。

だから原っぱといった時に重要なのは、それが設計者によって恣意的に作られたものでは「ない」からでも、暑苦しく「ない」からでもなくて、原っぱという場の上で全く違う新しい遊びが次々に発見されるからであり、ルールが完全に守られていながらルール違反スレスレまで自由に振る舞っているからであり、多分それは、原理的に敷地の中だけしか設計できないにも関わらずーーこれはあらゆる建築に共通する絶対的なルール、いわばメタルールであるーー、そのルールをぎりぎりまで逸脱しようという試み、要は、なんとかその敷地の外の世界を変えようという試みだったからではないか。
そして、とても回りくどくなってしまったけれど、大宮前体育館に感動したのはこの一点につきる。

個人的には青森に比べ大宮前は内部の空間についてはそれほど上手くいっているとは思えない。それは恣意的なデザインを排除し、完成した世界を脱臼するという従来から説明されている原っぱの手法でつくられているように見えるから。しかし、仮にその内部ではなく、敷地の外こそをよりよいものにしたかったのだとすれば腑に落ちる。だからこそ評価が割れてしまうのではないか。実際、青木淳自身も荻窪の街自体が大宮前の参照先だと書いている。
原っぱと遊園地という言葉はとても分かりやすい。設計されていないものと設計されたもの。設計者の恣意的なデザインを排除することが期待される現状の中で、遊園地ではなく原っぱに共感するのはある意味とてもよく分かる。事実ぼく自身にもそういう感覚はある。ただ上述したように恣意的なデザインの排除という方向は現状に適応した数多ある試みのひとつでしかなく現状を変えることはできないだろう。それにそもそも人は原っぱに不自由を感じることもあれば、遊園地の中ででも勝手な遊び方を発見し、自由に振る舞う事も出来るのだから。本当はもう一度青森にまで戻って問いを立て直すべきだろう。あそこにはまだ無数の可能性が詰まっている。しかし長くなりすぎた。

今、目の前にある世界をそのままそっくり一度は引き受けた上で、そして目の前にある見慣れたものだけを使って別の世界を見せる事。多分大宮前体育館でやろうとしたことはそういう試みではなかったか。